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「三蔵!」
家に帰ってすぐ部屋に戻ると窓を開けて大声で三蔵の名前を呼ぶ。
しかし反応は無い。
「三蔵、三蔵!三蔵ぉ―!!」
「人の名前を犬みたいに連呼するな!!」
ガラリと言う音をたてて現れた三蔵は不機嫌そうな顔をしていたけど、あたしの顔を見るなりその表情は一転し珍しく曇った表情になった。
長年の付き合いから、お互いの顔を見れば何が言いたいのかわかってしまう。
「・・・大学の寮に入るから家、出るって、ホント?」
「あぁ。」
「もう、決まったの?」
「・・・あぁ。」
視界が一気に反転し、あたしの心は一気に闇に落ちた。
たまたま学校の職員室の前を通ったら三蔵の名前が聞こえて、また先生達が三蔵を褒めてるんだって思って通り過ぎようとしたら耳に入ってきた話。
某有名大学へ三蔵が推薦入学を受け、それに合格した・・・と言う事を。
そこまで聞いたあたしは心の中で拍手をしていたんだけど、続く言葉はあたしの心を一気に凍らせた。
「でもここから通うのは無理でしょうから、きっと彼も寮に入るんでしょうね。」
「えぇ、そのつもりらしいですよ。何でも・・・」
続く言葉はもうあたしの耳には届かなかった。手に持っていたカバンを落とさないよう持っているのが精一杯で、気付いたらあたしは家に向かって走っていた。
三蔵が・・・いなくなる?
何処から?ここ・・・学校から?そっか、もう3年生だもん卒業だよね・・・、違う。
違う!・・・あたしの側から・・・三蔵がいなくなる!!
数歩歩けばすぐに三蔵の家に行けた。
声が聞きたければ窓を開ければすぐに会えた。
馬鹿をやったらすぐ叱ってくれて、物凄く稀に褒めてくれる事もあった。
物心ついた頃から、学校行事以外で離れた事の無い三蔵が・・・いなくなる?
誰がそれを受け入れられる?
空気がなくなるなんて・・・そんな事、考えられない。
「・・・。」
「・・・」
三蔵があたしの名前を呼んでる。
「おい!」
「・・・・・・」
そっか・・・もうこうして三蔵があたしの名前を呼ぶのも、聞けなくなるんだ。
「!」
肩を掴まれて前後に揺さぶられた。
ずれていた目の焦点がある一点で結ばれる。
太陽みたいにいつもキラキラ輝いている髪と全てを飲み込んでしまうような神秘的な瞳を持った大好きな幼馴染に・・・。
「何故泣く。」
「え?泣いてないよ?」
何言ってるの三蔵?あたしはただぼーっとしてただけで、泣いてなんかいないよ。
そう言おうとしたけど何故か喉に物が引っかかったようになっていて声が出ない。
おかしいなぁと首を捻っていたら、三蔵が小さくため息をついてあたしの目元に指を当てた。
そしてそのまま指先をあたしの目の前に差し出すと、そこには・・・何故か水滴がついていた。
「あ、あれ?」
「これは何だ。」
「・・・えっと、み、水?」
「随分塩分の多い水だな。」
「海水だから。」
「何処の人間が目から海水を出すんだ、馬鹿が。」
口調はいつもと同じ、だけどあたしの頭を叩いたのは・・・いつものハリセンじゃなくって幼い頃のようにまるで慰めるかのように優しくコツンと音を立てて置かれた拳だった。
そしてその手は何時の間にかあたしの頭をそっと撫でてくれていて、冷たくなっていたあたしの心をゆっくりゆっくり溶かしていってくれた。
そして徐々に冷静になったあたしは、正面から三蔵にあの事を聞いた。
「三蔵。」
「何だ。」
「どうして家、出ちゃうの?ここから通えない訳じゃないでしょ?」
「大学の話か。」
「うん。」
「・・・最近うちに良く来るでかいガキを知ってるか?」
「えっと悟空君の事?」
「今度アイツを養子にする事に決まった。」
「え?三蔵の!?」
「・・・お前、それわざとか?」
一瞬シンとした空気があたしと三蔵のいる部屋を包んだけど、それを打ち消すかのようにあたしは苦笑し三蔵はいつものようにため息をついた。
「色々面倒な手続きがあってな、来年からうちに来るようになった。」
「へぇー。」
「一応今の家じゃ部屋数が足りねぇから改築するんだが、それまで悟空と俺が同じ部屋に住むって話になって・・・」
そこまで聞いてあたしは自分の頬が僅かに引き攣るのがわかった。
この後三蔵が何を言うか分かってしまったから・・・。
「まさか、悟空君と一緒だと部屋が狭いとか煙草が吸えなくなるとかそう言う理由で寮に入る・・・ワケじゃ無いよね?」
「それ以外何がある。」
キッパリ言い切る三蔵はある意味とっても男らしかった。
「まぁ予算や家の都合もあって1年は寮生活になりそうだが、すぐに戻る。」
あ・・・あたしの涙を返せぇっっ!!!
「あぁそーですか!」
「何を怒ってる。」
「怒ってなんか無い!」
嘘、怒ってる。早とちりした自分に。
立ち上がって手の甲で零れそうになっていた涙をぐっと拭うと、あたしの部屋にいる三蔵に窓を指差した。
「用は済んだでしょ!もう帰って!!」
「・・・ほぉ。俺を呼んでおいて次は帰れ・・・と?」
「もう用事すんだもん!」
クルリと三蔵に背を向けると放り投げたカバンを拾って机に置く。
そのまま椅子を出して座ると今日の宿題を取り出そうとした手に・・・細い、でも大きな手が重ねられた。
今この部屋にはあたしと、三蔵しかいない。
「・・・。」
「三・・・蔵?」
「そのまま聞け。」
まるで学校で三蔵が生徒会長として壇上で話すかのような真面目な声、でもそれともちょっと違う。
優しいけど・・・何かを伝えようとする強い思いを秘めた声。
「俺達は昔からすぐ側にいた。手を伸ばせばいつでも触れられる・・・そんな距離に。お互いがお互いを必要としているのに、それを言葉にする必要が無かった。けどこれからはそうも言ってられない、俺達はもうガキの頃とは違う。」
「そんなっっ」
「いいから黙ってろ。」
あたしが振り向こうとしたら三蔵が後ろからあたしを両手で抱きしめてしまったから、顔はおろか体も動かす事が出来ない。
「この機会に俺は・・・お前と距離を開ける。」
「え?」
「だからお前も、少し自分自身と向き合って考えろ。お前にとって俺は何なのか、どう言う存在なのか・・・を。」
耳元に囁かれた三蔵の声は、今まで聞いた事もないくらい真剣で・・・三蔵の両手がゆっくりあたしの体から解かれて、次第に足音が遠ざかって行った。
「さ、三蔵!」
慌てて振り向くと三蔵は既に自分の部屋に戻っていて、扉を閉めようとしている所だった。
「あっあの・・・その・・・あたし!」
どう言えばいい?今のあたしに何が言える!?
気持ちが固まっていない、自分自身も分かっていないあたしがっ!!
それでも何か三蔵に言わなければと思ってるけど上手い言葉が出てこない。
オロオロしていると部屋の中にいた三蔵が何かをこっちに投げて来た。
「来年までお前に預けておく、無くすんじゃねぇぞ。」
そう言ってニヤリと笑った三蔵は、いつもの幼馴染の顔をしてたけど・・・あたしの中では何故かいつもと違うように見えた。
それから数日後、卒業式が終わってすぐ三蔵は引っ越して行った。
入れ替わるように三蔵が住んでいた部屋には悟空君がやって来て、学校の宿題が分からないと言っては幼い頃のあたしのように窓からあたしの部屋にやって来るようになった。
あの日、三蔵があたしに預けて行ったのは・・・愛用していたジッポのライター。
大好きな光明おじさんがくれた物で、今迄一度も触らせてくれた事も無い程大切なもの。
いつも一緒だった幼馴染。
まるで空気のようにずっと側にいてくれた幼馴染。
でも、その空気が側に無くてもあたしは生きている。
だけどあたしの心の中にはぽっかり穴が開いたような場所がある。
きっとそこを埋められるのは・・・三蔵だけ。
幼馴染・・・だけど、もうそれだけじゃ足りない。
あたしの答えはもう決まったよ、三蔵。
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